ロバが、牛の形も声も角もないのに、牛の群れの跡からついてきて、
私も牛であるといっても、誰も信用しなしように、この戒と心の統一と智慧の
三学を学ばないでいて、私は道を求めるものである、仏の弟子であるといっても
、それは愚かなことである。
農夫が秋に収穫を得るために、まず春のうちに田を耕し、種をまき、水をかけ、
草をとって育てるように、悟りを求めるものは、必ずこの三学を学ばなければなら
ない。
農夫が、まいた種が今日のうちに芽を出し、明日中に穂が出て、明後日には
刈りいれができるようにと願ってもそれはできないことであるように、悟りを求める
ものも、今日のうちに煩悩を離れ、明日中に執着をなくし、明後日に悟りを得ると
いうような不思議は得られるものではない。
種はまかれてから、農夫の辛苦と、季節の変化を受けて芽が生じ、
ようやく最後に実を結ぶ。
悟りを得るものもそのように、戒と心の統一と智慧の三学を求めているうちに
次第に煩悩が滅び、執着が離れ、
ようやく悟りのときが来るのである..
【仏教聖典 174ページ】